世紀の相場師リバモアの生涯から学べたこと

 

 

今回紹介するのは、ジェシー・リバモアという方。

 

日本人最高峰のトレーダーであるBNF氏が

株取引について学ぶため唯一読んだ本がリバモアの自伝。

 

 

 

本の内容や彼の生涯から学び取れることが有益だったので簡潔につらつらと。

 

 

 

伝説の相場師、

4度の離婚、

拳銃自殺

 

1887

アメリマサチューセッツ州生まれ

農家の家庭に産まれる。

貧しい移民家庭

母は教育熱心、父は子に対して無関心。

3歳で読み書きを覚える。

5歳で新聞を読む。

頭のいい子供で学生時代は数学が得意。

学業などいいから農業を継げという考えを持っていた。

14歳の時に父に反発し、家出をしてボストンに向かう。

そこで働く。

実家から一番近い都心。

都会で仕事があると思った。

母親は家出の際にお金を渡してくれた。

 

都心を放浪し、

株式の仲買い屋さんで働くことになる。

今でいう取引所。

 

当時は電光掲示板もない時代なので、

株価、板は黒板に手書き。

 

チョークボーイという投資家から伝えられた株価を黒板に書く仕事をする。

数字に強かったので適性があった。

 

株価を書き写すために伝えられる情報のティッカーテープ

をリバモアは毎日見るうちに法則性に気付く。

 

15歳の時にバケットショップに誘われる。

 

バケットショップ

・・・相場の値動きを対象とした賭場。

10倍のレバレッジが掛けられて、

10%下がると強制ロスカット

手元に実際の株価分のお金がなくてもできるのが特徴。

差金分が決済される形態を持ち、現代でいうCFD取引が近い。

日本でも同じようなものはあった。合百という。

 

ここから相場にのめりこむ。

 

バケットショップにて、同僚と過去に上昇していった銘柄の値動きと同じ値動きのものに賭ける。

 

人生最初の取引は、

5ドルをかけて2日後に3ドル12セント儲ける。

 

実戦で今までの経験が活きたことが嬉しかったリバモアは、

今まで記録した銘柄でもっと試したくなる。

 

すぐに会社の給料以上のお金を稼ぐことになる。

 

16歳に1000ドル貯めて会社を辞める。

相場師になる。

周りから天才・神童と呼ばれるほどに勝ちを重ねる。

 

母に1000ドルを渡そうとするが、ギャンブルで儲けたお金だからと断られる。

バケットショップが違法だが、警察の取り締まりもガバガバ。

マフィアの方が力を持っていた時代だった。

 

マフィアが取り仕切っているので

バモアは界隈で有名になり、

複数のバケットショップで出入り禁止にされてしまう。

変装、代理、掛け金を減らすなどの努力で凌ぐ。

 

不利な条件で賭場に立たされる時もあったが、

トータルで勝ちを重ねていく。

 

バケットショップでの取引の限界を感じていたリバモアは

20歳までに1万ドル貯めてウォール街へ。

 

そして。。。

 

半年で破産。

 

バケットショップと形態が違いすぎるのが理由。

とのちに語る。

 

当時、PCなどないので

ティッカーテープを見て注文から約定までリアルタイムから30分ほどのずれがあった。

 

100ドルで取引しても110ドルで買ってた。

90ドルで売ってた。

 

という事例が、

30分の間に価格が動くためにざらにあった。

 

 

 

 

バモアは今でいうスキャルピングバケットショップで行っていたが、

ウォール街では約定のタイムラグ、取引手数料などから損をしてしまう。

 

以降、20-28歳まで

バケットショップで儲けて、ウォール街で破産というループを繰り返す。

 

24歳で鉄道会社に投資して5万ドル(現在価値20億)を手にする。

上がりすぎていたのでカラ売りを仕掛け破産。

予想自体はあっていたが、仕掛けるのが早すぎて破産。

 

後に

高すぎるという理由で株を空売りしてはならない。

という教訓を残す。

 

 

19060418

サンフランシスコで大地震が起きる。

住民の半分以上が住む家を失う。

株価暴落。

バモアは数日前に胸騒ぎがするのでカラ売りを仕掛ける。

うまく儲ける、

NYにも伝わってきたので、増し玉

バモア25万ドル儲ける。

 

それから数日後に

4万ドル溶かす。

友人からの情報に従って取引をしたため。

 

取引は自分だけの判断で行う、

他人の情報を当てにしてはならない。

 

という教訓を得る。

 

資産をじわじわと増やし、

1907 恐慌と呼ばれる世界金融危機が起こる。

 

バモア30歳

暴落を予知して巨額のカラ売りをし、莫大な含み益を得る。

 

増し玉しようとするが、

執行すると、株式市場自体が崩壊する懸念があるため迷っていた。

 

JPモルガンの使いがリバモアの元に来て、

辞めるように説得する。

買戻しにより決済。

 

株価は上昇。

 

340万ドル儲ける。

 

この事件の後に、中央銀行が設立される。

 

バモアはこのころから商品市場も観察するようになる。

 

コットンキングと呼ばれるトーマスと取引をして、

綿花の取引で300万ドル失う。

100万ドルの借金ができる。

 

綿花相場で大儲けしてやると思ってしまい、

自分で課したルールを破った。

 

具体的には、

・他人の情報を当てにして取引。

・損切せずにナンピン

・利益が出ていた小麦を売って綿花を買う。

 

綿花で損切りをしたときには資金が残っていたようだが、

損を取り戻そうとして、むちゃな賭けをして破産。

 

後に振り返った時に、

売買履歴を見ても自分の取引とは思えないという言葉を残す。

 

感情に流されてはいけない。

 

という教訓を得る。

 

借金をしながら少額の取引を続ける。

しかし、

第一次世界大戦により取引所が閉鎖。

 

借金が返せなくなる。

これまで幾度となく破産しているのを知っている

貸してた人間はリバモアなら何とかするだろうという安心感を持っていた。

 

終戦後、投資の利益により借金返済。

 

バモアは信託資金を設立し、

ドン底生活を味わわないようにした。

 

1929まで順調に資産を増やす。

株価操縦などのグレーな手法も行っていた。

 

1929

株式市場は異常なほど高騰する。

ダウ平均株価

1925年120ドル

1929年380ドル

その後

1932年40ドルとなり3年後90パーセント下落

この時もカラ売りにより

1億ドル以上儲ける。

現在価格数千億円

 

暴落前の水準に戻るまで22年掛かった。

 

ウォール街のグレートベアと呼ばれる。

 

株価が暴落したのはリバモアのせいだと呼ばれ、

バモアは殺害予告を受けるようになる。

 

ボディガードを雇って生活する。

 

1934、56歳の時に破産する。

理由は不明。

5年で数千億をどうやって溶かしたのか。

規制により今までの取引ができなくなったのでは?

という記事も見受けられるが真実は不明。

 

1939投資のアドバイスをする仕事をする。

 

19401128

63歳で拳銃自殺

 

相場でのストレスより

家庭がうまくいってなかったことによるストレスが原因だと思われる。

 

 

以上、リバモアの生涯。

 

4度も破産し、数千億と儲けて最後は拳銃自殺。

波乱万丈な生涯に感化される投資家もたくさんいるようです。

 

教訓や学べたことを列挙していきます。

破産時の教訓から

 

・高すぎるという理由で株を空売りしてはならない。

 

・取引は自分だけの判断で行う

 

・他人の情報を当てにしてはならない。

 

・感情に流されてはいけない。

 

当たり前やんって思うかもしれませんが、

それができなくなってしまうのが人間のサガ。

 

本能に打ち克てないと、

投資で勝てないと

現代の有名投資家である、

テスタ氏、CIS氏も言っています。

 

次は

本の中での格言じみたものを列挙していきます。

 

ウォール街、あるいは株式投資・投機に新しいものは何もない。ここで過去に起こったことは、これからもいく度となく繰り返されるだろう。この繰り返しも、人間の本性が変わらないからだ。人間の知性の邪魔をするのはつねに、人間の情緒であり情動である。私は以上のことを確信する

 

・人間らしい気持ち、感情の自由な働きを自らに許すのは、取引を清算した後、すなわち株や商品に投入された資金がすべて現金化された後である。
金が証券の形を取っている限り、生身の感情を”殺し”続けなければならない。

 

・間違いに気がついたら、間違っていることを止める。それが間違っているときに出来る唯一の正しいことです。躊躇うことなく損切りしてください。時間を無駄にしないようにしましょう。

 

最後に、

この3つが本の中で最も響いた言葉でした。

 

明日以降も同じような相場はある、

タイミングをミスって焦って

ポジションを建てて結果的に本来のリスクリワードよりも悪い勝負になるくらいなら、

勝負をしない。

 

損切りが遅れて決断できずに苦しくなるくらいならすぐに切る。

 

当たり前でいて難しいかもしれないけれど、

それを回避するだけでも今より利益は上がるようになるはず。

千億儲けた凄腕でも、

感情的になって破産してしまうことがあるのを知れたのが衝撃だった。

バモアの言葉、生涯から学び邁進し続けていこう。